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法律英語の基礎知識 [参考書]

企業の法務部員であった頃、部内で毎月回覧している雑誌に『国際商事法務』という国際法務の専門誌があった。読んで面白いとは決していえないその雑誌の中で、唯一私が読むのを楽しみにしていたのが、故早川武夫神戸大学名誉教授の『英文契約の解釈とドラフティング』という連載だった。

英文契約に接する者にとっての各種の有益情報が、時折脱線することのある軽妙洒脱な文章で綴られており、仕事中に読んでいて思わず吹き出してしまうようなこともあった。いつか大きな図書館へ行って、この連載のコピーを全部とって読み直したいと思っているのだが、なかなかその機会がない。しかし、そんな私の欲求を多少なりとも満たしてくれたのが、この『法律英語の基礎知識』である。

この種の本としては珍しいことであるが、序章は、1960年に早川先生が母校の名古屋商業学校で行った自身の経歴を語った講演録である。これが大変面白い。東京帝国大学卒業という経歴からすると順風満帆のエリート人生のようだが、決してそうではない。商業学校を卒業後、満州事変後の就職難のため鼻緒職人見習い、水道局の検針係を経て小さな商社に就職。そこで英文レターの仕事を経験し英語に開眼したことが転機となる。

その後苦学しながら教員検定試験に合格、師範学校等の教師を経て、旧制高等学校、東京帝国大学文学部に進学。「弁護士になって金もうけしよう」と法学部に転部。錠剤ヒロポンを飲みつつ勉強に励み、みごと文官高等試験に合格するも学者の道に転じる。そしてアメリカ留学を果たし、ヨーロッパを無銭旅行して帰国。ざっとまとめると、このような一大立志伝であるが、早川先生のユーモア感覚、少々の毒気、文章の歯切れの良さは、こうした叩き上げの経歴と無縁ではないと思う。

この序章のタイトルは「頑張れ、諸君!」となっている。不遇な境遇でも決してあきらめるなという母校の在校生に向けた暖かいメッセージである。世の中の酸いも甘いもかみ分けたらしい先生の言葉だけに説得力がある。

さて、この本の本論部分は「理論編」と「実践編」に分かれ、後者は共著者の椙山敬士弁護士による実際の英文契約等を題材とした対訳例とその解説である。前者は、早川先生のスピード感のあるエッセイ風の文章で、法律英語の特徴が豊富な具体例を交えて説明されている。が、論旨展開は時として非常に早い。実用的な知識ももちろんあるが、法律用語に限らずあらゆる言語現象に関する様々のトリビアが散りばめられていて、読んでいて飽きない。例えば、身元不明の行き倒れ人などを指すジョン・ドゥ、ジェーン・ドゥの起源、manholeが差別語だとしてpersonholeとなった話等々。

但し、具体例は時に卑近に過ぎると感じられるものもある。例えば、入れ子状のorの解釈に関して引用されているVirginia Code Ann. §18.2-361 (1975)は次のようなもので、「先生、何を考えているんですか」と苦笑せざるを得ない。それにしても、Virginia という名前だけのことはある。

If any person carnally know in any manner any brute animal, or carnally know any male or female person by the anus or by or with the mouth, or voluntarily submit to such carnal knowledge, he or she shall be guilty of a Class 6 felony

私がこの本で最も強く感銘を受けたのは、「第4章 一見やさしい語句」のandとorとand/orに関する部分である。明々白々だと思われているandとorの意味が決してそうではなく、お互いに重なり合う部分があること、また賛否両論あるand/orの歴史、その意味し得る範囲と使用にあたっての注意点等が、約20ページにわたって詳細に論じられている。

椙山弁護士は、この箇所の難解な部分は読者によっては飛ばしてもよいだろうと前書きでいわれている。難解というのは確かにそうかもしれない。私自身、完全に納得したとはいえない部分がある。しかし、私にとっては言葉の多義性というものに眼を開かせてくれた極めて貴重な論述である。

早川先生は、「はしがき」で「法の解釈とは言語の解釈にほかならない」と書かれ、一方で「実践編」の「おわりに」では椙山弁護士が以下のように語られている。

法律英語を学ぶということは、言語としての英語にとどまらず、結局は、当該法分野ひいては法制度全体の理解をするということになる。…翻訳というのは、本来異なる言語、文化体系にあるものを移行させようというものであるから、困難な作業である。…結局は、自国および他国の言語、制度、文化をできるだけ理解して、誤りを減らしていく、ということに尽きるようである。

当たり前のことをいわれているようであるが、本書を読み終えると非常に含蓄のある言葉だと感じる。

法律英語の知識が身に付くだけにとどまらず、英語を含む言語全般について格段に視野を広くしてくれる一冊であると思う。また、英語、日本語いずれの索引も充実しているので、辞書代わりにも使える大変有り難い本である。


法律英語の基礎知識

法律英語の基礎知識

  • 作者: 早川 武夫
  • 出版社/メーカー: 商事法務
  • 発売日: 2005/10
  • メディア: 単行本



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